アキレス腱を痛めた 不安だなあ

2週間前、軽くジョグするつもりで走り始めたら、3キロを過ぎるあたりから右足のアキレス腱が痛み始め、5キロあたりで痛みが激しくなって走るのを中止した。アキレス腱が痛くなって走るのを中止したのは人生初めての経験だ。ハンドボール部であった中高時代、週に1日から2日は3キロ程度を走っていた最近まで、足についてはマメで痛めたり、ふくらはぎを筋肉痛で痛めたことはあっても、アキレス腱そのものを、このように痛めた記憶はない。
ネットで調べると「安静第一」とある。この2週間のトレーニングはスイムだけとし、ランもバイクもパスしてきた。そして、今日は南行徳でスイムとランのレッスン。昨日はマッサージに行ってもみたが、痛みはとれない状態で、果たして今日のレッスンをどうするか、迷いに迷ったが、「様子をみながらいってみよう」と思いを定めてレッスンに参加した。今日のレッスンのポイントは上半身の使い方。立ち姿勢、腕の振り方、腰の回転、そして足という一連の流れを「上り坂」「下り坂」で確かめる。
姿勢の保ちかた、力の抜きかたと入れかた、リズムのとりかたなど、ランのレッスンはとても参考になる。ただ走るだけなのに、その奥の深さに触れ、自分自身の身体で確かめる反復レッスンは知的好奇心を触発して倦むことがない。ひそやかな肉体との対話だ。「そうそう」「これかな」など、レッスン中の独り言が増えてくる。
レッスンを続けながら、絶えず右足の状態を意識するが、なんとかいけそうでまずは一安心だったが、最後のメニューのジョグで15分ほど走ったところ、痛みがやってきた。困ったね。帰りはいつもはジョグだが、今日は歩き、TIPNESSの風呂で身体を洗い、冷水に足を冷やす。でも痛みはひかない。帰宅後はウトウトしながらアイシング(氷をビニール袋に入れてタオルで足首に巻く)を2時間。なんとなく痛みがひいてきたようだが、スッキリとまではいかない。
夕方に美容院で髪をサッパリし、ドラッグストアで、エアサロンパスとシップ薬を購入して、帰宅後にまず手当て。

不安だなあ。
これまでの「肩が痛くでうまく手が伸ばせない」という痛みには「不安」はなかった。痛みはなんとか克服する課題以上のものではなく、おかげさまで、痛みもだいぶ和らいできた。また、痛くとも、スイムのレッスンを中止しようとはまったく思わなかった。でもアキレス腱の痛みは「不安」そのものである。
・走るとまた痛くなる~結局走れなくなる。
・痛みが慢性化する~トライアスロンをあきらめなくてはならなくなる。
・痛みがひいても、何かのときにまた再発する。それはレース中かもしれない。
・1月のラン大会にエントリーしたいが、それまでに治っているものなのか。
・この冬は走りこみで持久力をつけようと思ったが、それが叶わない。来年の大会デビューに影響するか。
などど、「不安」は様々な形で心のなかに広がっていく。これは「大げさな心配」であるのか? うーん、困った。

まずは、マッサージ、ストレッチ、湿布薬など、こまめに手当てをして様子をみるほかはあるまい。現在は肩の痛みで通っている整形外科の先生にも相談しなくてはならない。その間はランのトレーニングはお休みで、腹筋など、体幹のトレーニングなどに力を入れるとしよう。だいぶ様子がわかってきたスイムを「自分のもの」にしよう、と、前向きに考える。
しかしこんな早い段階で、まだ大会にも出ない状態で、こうした「不安」を抱えるとは、「何事もそんなにスムーズにいきはしない」ということなんだよなあ。特にストレッチングなどの身体のケアをキッチリ行うための身体からの警告と受け取って、自己管理を見直していこう。

そうそう。問題のスイムについては「着実にやっていけば来年5月まではなんとかなりそう」といった心理的な余裕が生まれてきた。バイクについては、江戸川でのレッスンで立ちごけして以来、休み状態。明日も娘がクルマを持っていってしまったので、バイクを運べないのでお休み。近いのだから、バイクで大井埠頭まで行ってもいいのだが、まだ公道を一人で走る意欲はない。明日は近くのプールでキックとプルの練習をしよう。
今日、岩田コーチから「左手はいいが、右手がすぐに沈む」と指摘された。私は左に顔をあげるので、顔をあげると右手が沈んでしまう。自分でも気になっていた欠陥だ。そこで、右手が着水するまではキッチリ目視し(すぐに顔をあげて息をつかない)、手を伸ばす時にパッと顔をあげることを意識したら、左手と同じように、右手をグイッと伸ばして水をすべる感覚がつかめてきた。その感覚を明日、また、確かめてみよう。

秋の道 痛くはないか 足に聞く
湯に浸し 足をもむかな 秋の風呂

この冬はいくつかのランの大会に出たいと思っていたので、現在の状態が残念。

THIS IS ITはすばらしい、美しい映画だった。
マイケルが美しい。「美しい」以外の言葉が見当たらない。それを一丸となって支えるダンサー、ミュージッシャン、スタッフが美しい、その全体が生み出すパフォーマンスが美しく、映画はただただ美しい。その時への思いを遂げることができなかった悲しみと、その時へと向かう人々の思いが感動を誘う。忘れることのない、すばらしい映画だった。

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