これからのトラライフについて-その2 仮に寿命を定める。そんな年齢になったということ。

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 今後のトラライフを考えると、自分の寿命、その日までの大まかな生き方を否応なく考えることになる。そんな年齢になったのだ。
 最近は自分と同年齢の60代の方の訃報が目につくようになっている。一方で80歳を過ぎても現役のケースがテレビで多く取り上げられている。60歳を過ぎると個々の違いは実に大きい。身体の状態、家族の状態、経済状態など、それぞれに個人差は大きい。だから「人は人、我は我」との心構えが大切になっていく。さて、私はどうだろう。
 「平均寿命」をネットで調べてみると、いろいろと難しい解説や数式があり、「平均余命」という言葉もあって、ちょっとうんざりとしたものの、自分の年齢と性別を打ち込むと平均余命がわかるサイトがあり、試してみると平均余命:18.11であった。平均余命への「正しい理解」を調べるつもりもなく、漠然と「余命20年」とイメージしてみる。20年で85歳。勝手に直前まで働くつもりでいる。いつまで元気で働けられるかなどわからないし、明日倒れるかもしれないし、準備のしようもない。よって仮に20年現役と決めつける。
 生まれてから成人までの20年。10歳から30歳までの20年を振り返ると、人生における変化は実に大きい。私の45から65までのこの20年を振り返っても、妻の死、3人の子供の結婚、孫の誕生、友人との会社の設立と失敗、トライアスロンのスタートなど、まさに波乱万丈ではないか。
 老後は変化少なく穏やかにと考える人も多いかと思うが、「人は人、我は我」。私にはそんな余裕もない。私はこの20年を「大きな変化の月日」ととらえている。あるいは「20年もあれば大きな変化は可能である」「20年は挑戦に値する長さである」と考えている。
 振り返って。この20年の大きな変化は「私の家族の解体」であったが、今後の20年については、社会的な変化が大きいと考えている。情報化の社会基盤が整備され、新たな技術や製品が登場して暮しを変えていくだろう。そんな現代史に参加しようと思っている。なにも大きなことを考えているのではない。自分のできることを自分の範囲でやってみたいと思っている。
 
さて、トライアスロンであるが、そんな具合であるので、まず基本認識として、暮しを支えるものであるが、暮らしの中心に据えるものではない。余裕もないなかで、激動の現代史に参加するにはなにかと忙しいのだ。
 であれば、やはりその時々の無理のないペースで続けていくことになる。頑張ってアイアンマンを目指すといった目標設定はあり得ない。であれば、さて今年はどうなるのか。昨年は伊是名を大きな目標に、レベルアップを図ったが、そこで痛感したのは身体づくりの大切さ。ということで、今年はできる範囲の身体づくりが課題。可動性の向上、躍動感の回復、筋力の向上など。昨日はジムではじめてエアロビクスに参加した。(笑)
 いまひとつは、トライアスロンにまつわる楽しみを広げてみたいと思っている。私が一番好きで追いかけているスポーツはラグビーだが、それと同じように、海外の一流レースなどもチェックしてみたい。日本代表の選手の名前ぐらいは覚えてみたい。

走る汗 青葉木漏れ日 樹々のざわめき

 いい季節になってきた。この季節を楽しむようにトライアスロンを楽しむことがなによりか。一昨日は息子の結婚式。ニューヨークの長女夫妻も帰国して初めて連れ合いと対面。久しぶりに次女の家族に会い、孫二人の健やかな成長に安堵した。家族全員が一堂に会したわけで、こうしたことはもうないかもしれない。
 写真は長女夫婦、次女家族、姉との家族写真。これをFBにアップしたら「幸せな家族」というお言葉を多くいただいた。大変に有難く受け止めているけれど、初めてのことであり、「もうこうしたことはないであろう」「これで家族も一段落」という、しみじみとした思いが現実の心境である。

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