老化とは「縮んでいく」ことなのだ。「縮んでいきながら心地よく暮らす」とは。

IMG-0847.JPG
 
 3か月に1回、高血圧の定期治療に行っている。今日がその日で、血圧を測り、血液と尿検査を行い、次回までの薬を買う。
 今日の血圧は127(上)、75(下)で正常。血液と尿も「貧血ぎみ」以外は正常であった。貧血はいつものことで、自覚症状もなく、気にしてはいない。
 行くたびに先生から「何か具合の悪いところはありますか?」の質問がある。
 今日は「68歳になって、老化を実感するようになりました。老化というのは収縮ですね。全体が収縮していく」という言葉が口をついて出た。そのあとは「トライアスロンを頑張ってください」といった会話で終わりとなったのだが「老化とは収縮」という自分の言葉が心に残った。
 その言葉をきっかけ書いてみたいと思う。

 そう。心身が「縮んでいく」という感覚があるのだ。
 それに合わせて「暮らし」も縮んでいく。
 体でいえば、筋肉、柔軟性、俊敏性などが衰え、躍動感が失われ、動作の幅が狭まり、緩慢になっていく。若いうちは、考えもせずに、駅の階段を1段おきに駆け上がって電車に飛び込んだのだが、とてもそうはいかない。
 すべからく意識をしないと「動かない」。それが「縮んでいく」感覚だ。
 「縮んでいくこと」自体は仕方がないのだが、その状態、その自覚は決して心地よいものではなく、そこでいろいろと動かしてみることになる。それがトレーニングである。
 若いうちはトレーニングなどなくとも動けたのが、年をとるとトレーニングが必要になる。そうか。年よりは日々トレーニングをしないとならないのだ。
 ただし私の感覚ではそれは「縮んでいくことへの抵抗」ではなく、「縮みながらも心地よく暮らす」ことであり、「心地よく老いていく」方策ととらえている。

 体が縮んでいるのだがら、心も縮んでいるはずである。例えば好奇心、感受性、集中的な思考体力などが衰え、「面倒なのでボーっと過ごす」時間が増えているようだ。
 よく「年を重ねて体は衰えても心は若い」なんてセリフがあるが、私はそうは思わない。それは自己認識力が衰えて気分だけは若いつもりの状態と考える。ボケの一種だな。
 さて「縮んていく心」に有効なトレーニングとはなにか。
 それは成長期にある人間のトレーニングではない。
 「縮みながらも心地よく暮らす」ためのトレーニングだ。
 例えば身体のトレーニングは有効だ。全身五感で味わう自然は心に栄養を与えてくれる実感がある。
 しかし例えば、最近は長い時間集中して本を読むことが億劫になっている。読み出すとすぐに眠くなり、「買ったけどめくっただけ」の本が増えていく。集中的な思考力や想像力が「縮んでいる」のではないか。

もう一杯 麦茶がおいしく 飲めている
 
 多分「心のリズム」というものがあるのではないか。「心が縮む」とはその「心のリズムが縮む」と考えてみる。リズムがスローになったり、不規則になったり、あるいは体と同じように躍動感が失われる。溌剌(はつらつ)という言葉が心に浮かぶ。心を溌剌とさせる「心のリズムトレーニング」かあ。
 ではどうするか。このテーマは次回以降も続いてく。
 写真は今日もらった検査結果。
 改めて、問題なし、です。

この記事へのコメント

吉田悦夫
2019年07月29日 09:29
大変興味深いお話ですね。確かに、日々気が付くことが多いです。「小さくなったかな?」「縮んだかな?」「あれ、動かない!」など。次回を期待しています。