ラグビーワールドカップの記憶。その4 日本が発見した「スポーツの豊かな楽しみ」

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 このワールドカップを通して、多くの日本人はこれまでにないスポーツの楽しみ方を発見することになったと思う。選手のみならず外国の応援団を迎える楽しみ。交流する楽しみ。大声で共に君が代を歌い日本を応援する楽しみ、レプリカジャージーを着る楽しみ、ハチマキをする楽しみ、ビールを飲む楽しみ、日本以外の国々を応援する楽しみ、世界トップのゲームを堪能する楽しみ、そして日本チームの奮闘をハラハラドキドキ息もできないほどに見つめる楽しみ。
 これらの様々な楽しみが「ラグビーというスポーツのの豊かな楽しみ」であることをワールドカップは教えてくれた。
 さらに、SNSによる楽しみも、あげておかなくてはならない。
 このワールドカップはスポーツとSNSの新たな関係を拓いたものとして歴史的な意味をもつものになった。
 
 一方で「スポーツは純粋にスポーツ(ゲーム)のみを楽しむべき」とする考えがある。
 この点について書いておきたい。
 SNSでも、ゲームは評価しつつも、日本を応援する熱狂が恐ろしい、オープニングの太鼓の演出がダサい、開・閉会式に安倍首相がいたのが気に入らない、といったメッセージがアップされていた。そうした人はいるだろうなあと思っている。応援の熱狂についてはナショナリズムへの恐れ、演出については日本風への恥ずかしさ、安倍首相については「安倍嫌い」の感情だろうが、「首相としてもっと他にやることはあるだろう」には「なんだかなあ」。
 しかしこうした声が大きく広がることはなかった。
 それはそうだろう。
 私から言わせれば、それは「料簡が狭い」となる。
 当たり前だが、開催国の政府代表を招待するのは大会委員会の仕事だ。安倍首相が「俺を出せ」といって始まる話ではない。会場でどこに座り何をするのかを決めるのも、安倍首相ではなく、大会委員会である。国際大会は政治的な社交の場でもあるのだ。だから決勝戦にはヘンリー王子も南アフリカ大統領もやってきた。安倍首相はその夜は首相としての仕事を行っていたのだ。
 ラグビーの蘊蓄に熱をあげるラグビーフアンの間では、日本は予選突破不可能、ジェイミー・ジョセフを解任しろといった声もあった。監督気分で贔屓チームを分析、論難するのも「純粋なスポーツの楽しみ」ではある。だがそうした人々はこの日本快進撃という「予測外れ」を心より楽しめたのであろうか。
 楽しみは人それぞれであるが、私は物知り目線でゲームを語る人より、無心で応援を楽しむ人でいたい。

 スポーツは文化である。日本代表の選手からは「日本にラグビー文化を育てること」をミッションに掲げるコメントが多く聞かれた。「ラグビー人気」ではなく「ラグビー文化」というのがラグビーならではだ。
 「ラグビー文化を育てる」には日本代表は強くなくてはならない。選手はそれが日本のためになると思うから厳しい練習も耐えられる。
 ラグビー文化は確かに育ったと思う。
 ワンチーム、ノーサイド、品位、情熱、結束、規律の尊重。
 それを愛する気持ちの良い精神を養ってくれたと思う。
 
 こうしたスポーツの力をみると、スポーツが政治から免れると考えるわけにはいかない。会場で政治メッセージをアピールするような、幼稚な政治のもちこみは遮断されるべきだ。しかし、南アフリカの監督とキャプテンは「今回の優勝が国を一つにまとめる力となることを期待する」メッセージを述べた。これは政治的な発言ではないが、社会を動かす力をもつということで、政治的なものだ。

 スポーツは地域を強くする。スポーツは豊かな体験をもたらす。スポーツは文化であり政治も含むものである。だから常に周囲に気を配り寛容と尊重の精神をもって臨むのがマナーだ。
 いま人類が直面しているグルーバルな世界ではこのマナーが重要であること、そして日本がこのマナーにふさわしい国であることを日本は確かめた。
 来年の東京オリンピック・パラリンピックが楽しみだ。

 写真はスコットランド戦プレミアムシートのカードとランチボックス、着ていったレプリカジャージー。
 いい思い出になった。

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