歳相応に生きることの難しさ? 楽しさ?

9月2日、本日は妻の命日。亡くなってからまる3年を迎える。仕事は休みとし、午前中は家の片付け、午後から亡き妻の高校時代からの友人3人を迎えて缶ビールに寿司で思い出と近況を語らった。3人のうち2人の子供がそれぞれに結婚間近とのこと。同年齢が集まって話す話題も、子供の学校の話はとうに過ぎ、子供の結婚と親の介護、さらには自分の老後という具合となった。
私の出た高校は5年毎に学年の同窓会を行っており、その案内が届いた。案内文には「遂に我々は60(還暦)です」とあった。5年前には妻の病気もあり欠席したので今回は10年ぶりに「還暦」の集まりに出席する。きっとそこでの話題も、定年、子供の結婚、親の介護に老後への不安といったものになるのだろうなあ。

このブログにも再三書いているが、60歳を前にすると、自分の年齢を強く意識するようになる。ひとつには人生の終焉が見えてくるということ。死ぬまでに何をしておくのかを考えて行動するようになる。次にあげられるのは身体の衰えへの自覚。見た目の容姿の老化はいかんともしがたく、体力も年々低下していく。今日は「岩崎さんでも歩いていて抜かれるようになったの!!」と驚かれた。はい、最近は女性にもドンドン抜かれます。さらに、子供の成長。私の場合は、二人の孫ができた。
加えて私の場合は妻の死ということがある。妻は胃癌で亡くなったが、妻の死により、死ということと、癌というものが、とても身近なものになった。「精密検査に行ったら前立腺癌と診断されても何の不思議もない年齢となった」ことを強く感じている。

もちろん、私のトライアスロンも、こうした「年齢への自覚」と大きなかかわりがある。
まだ身体の動くうちに何かを始めておこう、歳相応に生活のなかに取り込める、一人暮らしのライフスタイルになじむスポーツをもとう、死が身近な年齢となったので、常に目標への緊張感を内在させた暮らしをしよう、身体は衰えているが、だからこそ、それなりに「健康であることの肉体的な快感」を日々自覚していたい、といったところだ。

さて、そうした年齢のなかでの初のトライアスロンシーズンはどのようなものか。
「ちょっとやりすぎではないですか?」というご意見をあちこちよりいただく。もちろん「やりすぎ」というのは、「この歳で」という意味を含む。これは正直「そうかもしれないなあ」とも思う。ややオーバーワークなのかもしれないと思う。ただし、このオーバーワークには、特にスイムとバイクでの技術面での難しさが大きく影響していると思う。つまり、この年齢で始めるには、ハードルの高さを感じてしまう。もう少し若ければもう少し覚えも早かったのではないか、なんて思ってしまう。

そこで、いま、楽しみにしているのが、今度の日曜の横浜シーサイドトライアスロン。この夏の暑さもあり、ほとんどトレーニングができていない。暑さのおかげでビールを飲みすぎ、体重は2キロも増えている。天気予報では当日もかなりの暑さが予想される。そんな状態で、どの程度できるのか。とても不安である反面、初シーズンの状態を占う大会になると考えている。
元気な状態でゴールできるようであれば、この年齢のこの技術とこの体力で、つまり歳相応に、無理なく、自分なりにこのスポーツをたのしむコツが見つかるだろうことを期待している。だから、タイムはともかく「元気でゴール」こそが目標で、大会というよりも、練習のつもりでレースを楽しむことを第一にしたいと考えている。

この歳になっても、あるいは「年齢」を強く意識するこの歳だからこそか、歳相応に生き、日々を心地よく過ごすことの難しさ、あるいは楽しさを感じている。

この夏は 還暦前の 衣更え
あと一息 暑さしのいで 涼を待つ

先日、大学の友人から久しぶりに電話をもらった。
「今度会おうよ」で電話を切ったが、「今度とお化けは見たことない」なんて言葉もある。
来週には電話をして飲みに行こう。
年齢と仲良く暮らしていきたい。

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